近視人口の増加は、しばしば生活様式の変化として説明される。しかし、歴史を深く辿ってみると、 近視の流行にはもうひとつ大きな因子が存在した可能性がある。それは 戦争によって生じた人口構造の変化である。 この視点はあまり語られないが、歴史人口学と眼科学を組み合わせることで、 驚くほど整合的な仮説として浮かび上がる。
徴兵制が存在した国では、裸眼視力は前線に送られるかどうかを決める重要な要素であった。 特に日本の徴兵検査では、近視は「不適格」として前線勤務を免除される一因となった。
すると戦争では、次のような「視力による選択」が起こる:
これは人口遺伝学では負の選択圧あるいは遺伝的浮動として説明できる。 特定の表現型(ここでは「視力良好」)を持つ集団が高い割合で失われれば、 次世代の遺伝素因の分布が偏るのは自然である。
第二次世界大戦では、日本だけで280万人を超える戦死者が出た。 この犠牲者の多くは、徴兵検査で「視力良好」と判定された若者である。
一方、徴兵されなかった近視者は戦後の復興期に家庭を築き、 多くの子どもをもうけた。この世代が第一次ベビーブームを形成した。
近視の遺伝的素因(多因子遺伝)の高い親から子へ伝わる確率を考慮すれば、 この人口構造の変化だけで近視素因を持つ人の比率が上昇した可能性は高い。
その第一次ベビーブーム世代が親になった20〜30年後、 学童近視が急増した「第2の波」が生じ、歴史的事実とも合致する。
実はアメリカでも、南北戦争後の10〜20年(1870〜1880年代)に 近視研究の大ブームが起きている。
その理由は次の通りである:
つまり、アメリカにおいても戦争が近視研究の契機となったことは 歴史的に確かな流れである。
現代の近視研究では、環境因子が強調される。
だが、環境因子だけでは 戦後の極端な近視増加の規模を完全には説明できない という視点もある。
もし戦争が近視素因を持つ人口を増加させていたとすれば、 その後の急激な教育環境変化で、近視という形で顕在化したと考えることは 十分に合理的である。
戦争による人口構造の変化が近視に影響したという仮説は、 まだ完全には証明されていない。しかし人口遺伝学・歴史学・眼科学の知見を総合すると、 成立し得る仮説であると評価できる。
特に日本のように、
近視とは環境病であると同時に、歴史と人口構造が生み出した現象 だった可能性がある。戦争は人々の心身だけでなく、 静かに、しかし確実に、人類の屈折分布にも影響を与えていたのかもしれない。
近視の理解には、健康科学や教育学だけではなく、 歴史学・人口学・遺伝学の視点が不可欠である。 その総合的な視野こそが、近視という複雑な現象をより深く理解する鍵となる。