第二次世界大戦後の日本で、学童近視の急増が観察されたことはよく知られている。 通常は「教育水準の向上」「都市化」「近業作業の増大」が説明として挙げられるが、 本稿ではもう一つの観点―― 戦争がもたらした遺伝的ボトルネックと選択圧の変化 ――を中心に考察する。
旧日本軍では、視力は兵役適性を左右する重要要素であり、 「裸眼視力が良い兵士」が戦闘地域へ、「視力不良者」は後方・国内に残される傾向があった1。 この結果、終戦までに約280万人の戦没者の多くが、 平均的には「視力良好の若年男性」であったと考えられる2。
一方、前線に出なかった層(視力が悪い者も含む)は、 戦後の復興期に家族を形成し、出生ブーム(1947〜1949)を支えた。 これを人口遺伝学的に捉えると、戦争によって 「視力良好群の遺伝子プールが相対的に減少し、視力不良(近視傾向)群の寄与率が上昇した」 と解釈可能である。
人口遺伝学では、戦争・疫病・飢饉などによる大規模人口減少を ボトルネック効果と呼び、これは特定の表現型の頻度を変化させ得る。 もし「視力良好の個体」が選択的に失われた場合、 その後の世代において近視素因の割合が増加しても不思議ではない。
戦後10数年後(1960年代)に始まった日本の学童近視の急増は、 この人口構造の変化と時間的に一致している。 これは、戦後直後に生まれた子世代が学童期に入るタイミングである。
さらに、1970〜80年代、2000年代以降と、ほぼ15〜20年周期で近視有病率が上昇する「波」が観察されている3。 これは、戦後に形成された近視リスク遺伝子の高い集団が世代を重ねるごとに、 環境要因(教育・近業作業)と相乗的に作用した結果と考えることができる。
19世紀後半、アメリカ眼科学会(American Ophthalmological Society)が 近視研究を本格化させた時期は、南北戦争の終結(1865)からおよそ10〜20年後である4。
南北戦争では62万人以上が死亡し、前線戦闘に従事したのは視力良好な若年層だったため、 眼科学者たちは戦争後に学童近視が増えていると注目した可能性がある。 実際、戦後アメリカの都市化・教育普及と近視増加は時期的に重なる。
これは日本と同様、 遺伝的素因の偏り × 戦後の教育拡大 という複合的な要因の存在を示唆している。
近視発症は、現在では多因子遺伝であり、 200を超える関連遺伝子が報告されている5。 一方で、遺伝素因が強い個体ほど近業・教育環境の影響を受けやすいことが知られる。
戦争によって近視素因が高い集団的特徴を持つ親世代が形成され、 その子孫が戦後の急激な教育拡大に曝露されれば、 近視有病率が急増するというダブルインパクトが生じうる。
本仮説は、近視増加の主要因として従来説明されてきた環境変化に加えて、 歴史的事件による遺伝的歪みを導入し、 近視疫学をより包括的に理解しようとする試みである。
もちろん、現時点では直接的証拠があるわけではなく、 歴史人口統計・兵役データ・遺伝子頻度の変化などのさらなる検証が必要である。
しかし、 「戦争という大量選抜イベントが、近視の遺伝的背景に影響した可能性」 は、学術的にも十分検討に値する視点である。
戦争後の近視増加を説明するには、環境要因だけでは説明に限界がある。 人口遺伝学・歴史・眼科学の三領域を統合することで、 近視のダイナミクスをより深く理解する道が開けるかもしれない。